聞いたCDの感想を書く

個人的な感想を個人的な言葉で書くだけ 中身はマジでないです

ヴォーカル集 遙かなる時空の中で2~花をとめ~(2003)

出会った時期:2011年10月
 遙かの入り口はPSPの遙か2で、キャラソンの入り口は「花をとめ」だった。すべての始まりですよ怖いですね。
 購入当初、キャラ声・キャライメージから逸脱するキャラソンに慣れてなかったから、ほとんどの曲をズコーってなりながら聞いてた。今では私がおじいさん。一番好きなアルバムはもちろん「花をとめ」。なぜなら全体にまとまりがあり、語りも含めて遙か2の八葉についての描写が丁寧で美しくて切ないからです。
 ジャケットデザインが上品で好き。6ロンドのキャラソン集のジャケ、「花をとめ」に激似じゃありません? 見かけるたびに興奮してしまう。

 田久保さんの歌詞が好きなので、主にというかほぼ100%歌詞の話になります。

1 火群の地平線

 心にお前の名前蒼く深く彫ったことを事後報告するんじゃない。愛が重い。遙か2の曲はすべて愛が重いので今後すべての曲に「愛が重い」と書くことになります。
 「しなやかな影絵」ということは「お前」を逆光で見ているわけで、残照に燃える山に地平線を見て、影絵のシルエットに「天地を繋いだ地平線」を見ているんじゃないですかねって思って聞いている。
 ツイッターに書いたことの再掲になるけど、遙か2のキャラソンにはちょくちょく「地平線」が出てくる(e.g. 爛漫の嵐を抱け)。そこで思うのは、京という閉鎖的な世界にもたらされた花梨という特異点は、夜明けをもたらす「地平線」なんだなということ。花梨そのものが「太陽」なんじゃなくて、「夜明け」なんじゃなくて、「天地そのもの」でもなくて、天と地を結ぶ「地平線」。
 時が動いて夜明けが近づくから京は急速に滅びへ向かうけど、夜明けが訪れたからこそ京は在るべき姿を取り戻せた。地平線を越えた夜明けは万人にもたらされるけど、夜と朝の境界線となる「地平線そのもの」に向き合うか否かはあくまで個々人の選択でしかない。地平線を見つめることは八葉たちの選択であり勇気であり希望なんですよ!ここまで全部妄想です!
 「耳たぶ」のくだり、田久保さんは神か?と思う。耳たぶを強く噛んでつけたい「俺の印」は傷派? 内出血派? 歯形派? わたしは傷派!

2 彩雨の揺り篭

 この曲だけ作詞が田久保さんじゃないのはなんでなんだろうね。CDブックレットを見ると作詞プロデュースは田久保さんになってるけど。小泉さんはほかに「ミルフィーユ・ドリーム」、「閃光と疾走の絆」、「紫陽花の残夢で逢いましょう」の作詞をされてるらしいです。
 「彩雨」というのが具体的になんなのかは示されてないけど、遙か2は秋冬が舞台なので時雨のイメージを強く持ってる(昔の人は紅葉を時雨が葉を染めるものだと考えていたらしいので)(気になる人は「時雨 紅葉 和歌」とかでググってね)。別にどこにも風景の描写はないので私の考えすぎだろうとは思います。「優しさだけ敷きつめたら」とかいう表現が私の妄想を助長するんですよね。なぜなら「咲き乱れる花を敷いた花の褥」が脳に刷り込まれているから!
 のちに永遠よりもそばにいる男ですから、もちろんこの時点でも充分に愛が重いです。
 何も言わず口唇で涙を止める方法はマウストゥマウス派? まぶた派? ほっぺ派? おでこ派? 私はまぶた派!

3 喪失のモザイク

 「剥がれ落ちる 霧が晴れるように」、「辿り着ける 夜が明けるように」、「生まれ変わる 虹がかかるように」という流れが、まさに幸鷹の物語。
 「花をとめ」のコンセプトが「顔を赤らめる作品」っていうの、エ~!?って思いません? エ~!? 「フェチズム」がテーマじゃなかったの~!?  耳たぶとうなじとくるぶしはどうなるの~!?
 「言の葉集」のライナーノーツが5000兆わかりみって感じでしばらくのたうち回ったんですけど、こういうところに書くべきものじゃないと思うので田久保さんの歌詞が好きすぎて死ぬって人は今すぐ買って読んで死んで!(過激派)
 幸鷹の愛は、精神的にどうこうというよりは肉欲的に重い。くるぶしに欲情するのはレベルが高すぎる。

4 水蜜桃の雫絵

 平安AOR。こういうのをAORだと思ってるけど違う? 私はAORだと思って聞いています(自己完結)。「漂流船の甘美き後悔よ」もAORだと思うんですけどコーラスのせいであそこだけムード歌謡っぽさが強くないですか? よく知らないけど。
 「からむほどく 手足の綾取り」、胸で押し花作るよりも余裕があって攻防ある感じに興奮する。翡翠は友雅よりもどこか余裕があって、そこが色っぽい。友雅はまだ「己が絶望していること」に絶望している段階だけど、翡翠は他人事のように一瞥をくれるだけという感じ。友雅よりもさらに刹那的で空虚。地の白虎!!!
 そんな虚ろな余裕のある翡翠だからそんなに愛は重くないんじゃないのと思うけど、「いっそ捨てようか その微笑み 失うくらいなら」ですから、すっかり立派な重い地の白虎です。

5 蒼い魂の龍巻

 なんでイサトの曲で「蒼い」って言葉を多用するのかなって思ってたけど、若さ・幼さの表現なんですかね。「青」は「よく澄んだ空の色に代表される色」、「蒼」は「〔木の葉・海・空などの〕深い青色」、「碧」は「あおみどり」(新明解国語辞典 第七版)。日本古来の色に緑はないから青も蒼も碧も緑を含むんだろうけど、「蒼」は「草木が茂る」という字でもあるから、なおのこと緑のイメージがあるな。「碧」は空や草木ではなくて玉に使う字ですね。
 この曲のどこが好きかって聞かれたら、歌詞を全部コピペすることになる。全部好き。
 特にマニアックなところだけ書いておくと、「菩提樹の枝で雨宿りしよう 独りきりになりたいときの 秘密の隠れ家」という部分が、彰紋と感覚同じかよ!という感じで好き。ただの雨宿りであれば普通に木陰だろうと思うけど、「つかまりなよ怖くないから」ということは枝の上だよね。夢浮橋でも木登りを勝真に怒られていたので(高いところに登る人をとにかく叱る勝真くん)、イサトが木登り部なのは確定だし。ていうか自称「木登りが得意」な花梨ちゃんが怖がってるのかわいくないですか!?
 遙か2の中でたったひとり涙を見せない少年に対して「愛が重い」とか言いたくはないんですが、涙で空っぽな魂を埋める行為は先代の地の玄武と同じなんですよ。重いぞ。

6 風葬の荒野

 どうやら田久保さん的には「風葬の荒野に立つ」というタイトルであるらしい曲(「言の葉集」の誤植)。遙かのキャラソンは曲先で作られるようだけど、つまり田久保さんはあのサビメロを受けて「死に場所を探してた 断罪の日々」と書いたわけですよ。メロディ先行の死に場所探しなんだよ。
 その先行するメロディ、遙か無印で天真の曲を影山さんが書くのはわかるんだけど、まさか遙か2に続投するとは思わないじゃないですか。その流れを知らなかった私はCDを再生した途端に爆笑ですよ。誰だお前!? 頼忠酔ってるの!? \ア゛ァ~!!/
 曲調と歌声でかすみがちだけど、歌詞を読むとたった16歳の少女に託される成人男性の過去と未来と愛がとにかく重すぎる。
 あとこれはあまり関係のない個人的な感想なんですけど(このブログの全てが個人的な感想なんですけど)、今も風葬の文化を持つ村を訪れた人のブログをいくつか読んで、風葬というものへの認識を改めたことがあります。悔恨も断罪の日々も弔われ風化して、いつか還っていく。

7 夜籠りの夢

 あまりに好き。好きです。田久保さんの詞を乗せたウララさんの曲を宮田さんが歌うなんて好きにならないわけがない。
 「紫檀の箱」のくだりってよくネタにされるし私もするけれども、ひとつ歪曲させたくないのは、檻や籠に監禁したいと言っているのではなく、束縛するでも辱めるでも鑑賞するでもないというところ。あくまで「箱」に閉じこめて、「誰にも見せたくない」としか言ってない。「箱に閉じ込めて誰にも見せたくない」のは、「あなた」という存在であり、同時に「恋う苦しみ」であり「募る想い」であり「あなたを待つ切なさ」であり「永遠の至福」でもあると私は思う。ここまですべて妄言です。
 「儚き移り香となり せめてそばで眠ろう」の切なさと美しさと色っぽさ。大切な恋第3段階で、花梨がお香のにおいで彰紋が来たと気付くシーンがあるけど、人の香りを覚えているってとても色っぽい。しかも選択肢で「翡翠さんでしょう」を選ぶと「今度は僕の香も覚えてもらえるといいな」と言うんですよ。ああ~~~~~
 「言の葉集」ライナーノーツの内容が思ってたのとだいぶ違って、思ってたのとは違う方向に愛が重い!!と思った。それはそれでおいしい!!!!!

8 退廃の戯れ

 遙か無印のアクラムと遙か2のアクラムは、同じ人物なんだけどキャラクターとしては別物で、私は2のアクラムが好き。無印のアクラムが外側に向かって傲岸不遜であるのに対して、2のアクラムは自分の内に籠もってしまって、外の世界なんて見えなくなっている感じがする。アクラムへ影響を及ぼそうとする黒龍の力は突っぱねていても、眼前の現実のあまりの虚しさに、心に靄がかかってしまったような印象。
 この曲で、アクラムは「お前だけを望む」と歌う。2のアクラムの行動原理はなんなのかという問題、実は結構難しい。「龍神絵巻」本編で、アクラムと対峙した紫姫が「あなたは何も望んでいないのではありませんか?」と語りかけるシーンがあるんですが、現時点で読む術がないので必要な部分だけ以下に引用します。

紫「いいえ、あなたは何も望んでいないのではありませんか?」
紫「自らを利することは何も……。ただこの町が、私たちが滅びればそれでよいと」
紫「私が星の一族の者だからでしょうか。京を巡る伝承を受け継ぎ、伝えていく一族の血が、そう思わせるのかもしれません」
アクラム「お前たちは花をめでることに理由を必要とするのか? それと同じことだ。私は滅びをめでているのだよ。お前たちが花を求め、慈しむようにな」
アクラム「これは私の望みではない。滅びを望んだのはこの町の――京の者たちだ」

 鬼と神子って、対極にあるように見えるけど、実は一番似ていて、一番近しい存在だと思う。圧倒的な力を持ち、それゆえに崇められ、それゆえに他の誰からも本当に理解されることは叶わない孤独。神子は神子であろうとすればするほど、鬼の首領は鬼の首領であろうとすればするほど、「神子でないわたし」、「鬼の首領でないわたし」が希薄になって、周りとは異質なものになっていく。
 その異質さは、鬼と神子には及ばないにしても、たぶん星の一族にもあるものだと思う。第3の異質である紫だけが、本人にも分からなかった「アクラムは本当は何も望んでいない」という真実を見つける。紫の指摘にアクラムは動揺したように口を閉ざし、最終的には「私の望みではない」とも明言した。上述のシーンで、「自らを利することを求めていない」ことに対して、頼忠と翡翠は理解不能という反応を示すんだけど、この乖離こそが「異質さ」の一端なんじゃないかと思う。「理解不能なことがある」ということを、理解できるのは異質な者たちだけ。
 「何も望んでいない」はずのアクラムが、「お前だけを望む」と歌う。アクラムの異質さに手が届くのはきっと花梨だけで、花梨の奥底の異質さに手が届くのもきっとアクラムだけ。異質同士のあいだで異質さは消える。
 つまり何が言いたいのか自分でもまとまらなくて困ってるんですけど、鬼と神子と星の一族の愛と呪縛はきっと重いぞ。

9 お前を迎える朝

 夜な夜な神子と関係のある夢を見る勝真くんと、寝不足の顔なんかあいつに見られたくない勝真くんが聞き所です。
 おじいちゃんの不眠症になんだかんだでちゃんと付き合ってあげる七葉がかわいい。七葉全員に質問しに行くおじいちゃんもかわいい。
 泰継を中心として、ほかの八葉全員のキャラクターと人間関係もまとめてあるのが上手い。アルバムの締めとしても上品で綺麗。
 「無論だ(ドヤ)」